道草だらけの人生凸凹日記

一人農家・ニコニコファームのドタバタ日記

7年前

うちの♀猫メイは7年前、東日本大震災のあった2011年に生まれました。
5月に引き取ったので名前はメイと名付けました。

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メイとさつき

メイにはさつきという姉妹がいたのですが、残念ながら交通事故で無くなってしまいました。

震災が起きた2011年3月11日、僕は研修先だったイチゴ農家のビニールハウス内にいました。
午後2時46分、僕はハウス内で大きな揺れを感じて慌てて外に出ると電柱が折れそうなくらいぐらぐらと揺れ、研修先のテレビで津波が街を呑み込む様子を見て愕然としたのを覚えています。

その日は研修どころではなくなり、すぐ帰宅すると本棚が倒れていたりしましたが、幸いにも大きな被害はありませんでした。
しかしその後、電力不足による計画停電やガソリン不足など今まで普通だと思っていた生活が困難になる状況がしばらく続きました。
ろうそくを用意して、電気がいつ切れるかビクビクしながら夕食を食べたり、ガソリンを入れるのに長蛇の列で待たされたり・・ガソリンを節約するため信号待ちでは手動でアイドリングストップする行為は未だに続けています。

僕は被災地のために何か出来ないかと考えてましたがどうして良いかわからずにいました。
そんな時、地元の新聞でチーム日光というグループがボランティアを募集していると知り参加しました。

当時の活動はこちらでご覧になれます。

ameblo.jp宮城県三陸歌津はひどい状況でした。
あり得ない場所にありえない物が散乱し瓦礫が山となり、歌津駅はホームはかろうじて残っているもののレールは途中からぐにゃりと曲がっていました。
僕たちのキャンプ場には電気は無く、当初は水もこちらからポリタンクに詰めて運び込んでいるような状況でした。

その後、チーム日光の一員として1年ほど活動に参加させて頂きましたが、あの時経験したことが僕の生き方、考え方に大きく影響しています。
今親しくさせて頂いてる多くの人は、あの時チーム日光で知り合った人もしくはそこからつながっていった人たちです。
あの震災によって僕の人生は変わりました。

さつきは死んでしまったけどメイはまだまだ元気。

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あったかいニャー

メイが生きてるうちはあの震災の記憶が風化することはないと思います。

ただ一つ気がかりなのは、震災後、日本はどん底まで落ちて一つの方向に向かうと思ったのですが、これからの日本は果たしてどうなのかということです。




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